【展覧会】中野信子『数学的崇高』についての脳科学的考察
FOAM CONTEMPORARY|アート
2022年09月16日(金) - 09月28日(水)
脳科学者・評論家の中野信子がアーティストとして取り組んだ個展「『数学的崇高』についての脳科学的考察」を9月16日(金)から9月28日(水)の期間に開催いたします。本展に合わせて、会期中の週末には予約制にて脳波測定イベントを実施。測定した⾃⾝の脳波を、世界に1点だけのアート作品としてご購入いただけます。
脳科学者・評論家として多方面で活躍する中野信子がアーティストとして取り組んだ個展「『数学的崇高』についての脳科学的考察」を9月16日(金)から9月28日(水)の期間に開催いたします。
人間はどのような脳の処理によって複雑な社会性を処理しているのか、人間の進化に芸術はどのように寄与しているのかを探るべく、中野が分類した脳波をアートとして可視化させる試みで、観る者にさまざまな視座を提供します。本展において中野は、従来美学領域で議論されてきた「数学的崇高」をテーマに取り上げました。人間の脳だけが特異的に持つこの認知機能について、その複雑性と解像度をめぐる考察を脳科学から分析し、鑑賞者と共に思考を深める機会を提供する試みを展開していきます。
本展では、実際に測定した作家自身の脳波データを元にデザインした作品や、人間とは認知構造の異なるAIに、人間との差異が際立つキーワードを入力した結果、生成されたイメージを、StareReap 2.5(株式会社リコーによる立体印刷技術)により作成した作品など、約20点をご紹介します。
※StareReap(ステアリープ)|デジタル技術を用いてさまざまな凹凸 ・テクスチャー表現をインクジェット技術により可能とした、株式会社リコー発のアートプロジェクト。
「数学的崇高」についての脳科学的考察
「心は自然の美しいものについての情感的判断においては平静な観照の状態にあるのに、自然のうちの崇高なものの表象においては動かされているのを感ずる。(中略)構想力にとっての法外なものはいわば(中略)深淵であって、構想力はそこで自分自身を喪失しないかと恐れるのである。しかしそれでもこのものは、超感性的なものについての理性の理念にとっては法外ではなく、構想力のこうした努力を生み出す点で合法則的である
―― イマヌエル・カント『判断力批判』
日常的な経験の領域を超えたものを、私たちが好むのはなぜでしょうか。
「崇高」は、しばしば美であるものと相対ないしは凌駕する何かとして認知されます。
批判期のカント崇高論では、崇高は「数学的」と「力学的」に区別され、数学的崇高論では、人間の数学的認知の限界を超えた宇宙のありようが呈示されたとき、それを補完する理論理性の偉大さを崇高と呼んでいます。
脳科学では、人間の数学的認知の限界が既に複数の研究から示されています。この分野の第一人者であるスタニスラス・ドゥアーヌは、5という限界を持つ特殊な数認知構造を持つアマゾンの少数民族を対象に、人間がどのように限界を超えた数を処理しているのかを明らかにしてきました。
私たちの脳は物理的な実質を持ち、その計算能力には限界があります。
その向こうにあるものを、なぜ私たちは見ようとし、それに魅せられてしまうのか。
本展では、人間の脳が持つ認知機能における「数学的崇高」について、なぜそれがこのように大きな領域を必要とし、複雑に発達してきたのかをめぐる考察の一助として、人間の脳機能をシンプルに可視化した作品と、AIが生成する複雑な無限についての作品を対置します。
人間の脳が生成する共通の神経基盤の象徴としてのかたちと、AIの生成するパターン。
立体印刷技術との競演が織りなす、思考実験の世界をぜひお楽しみください。
中野 信子
―― イマヌエル・カント『判断力批判』
日常的な経験の領域を超えたものを、私たちが好むのはなぜでしょうか。
「崇高」は、しばしば美であるものと相対ないしは凌駕する何かとして認知されます。
批判期のカント崇高論では、崇高は「数学的」と「力学的」に区別され、数学的崇高論では、人間の数学的認知の限界を超えた宇宙のありようが呈示されたとき、それを補完する理論理性の偉大さを崇高と呼んでいます。
脳科学では、人間の数学的認知の限界が既に複数の研究から示されています。この分野の第一人者であるスタニスラス・ドゥアーヌは、5という限界を持つ特殊な数認知構造を持つアマゾンの少数民族を対象に、人間がどのように限界を超えた数を処理しているのかを明らかにしてきました。
私たちの脳は物理的な実質を持ち、その計算能力には限界があります。
その向こうにあるものを、なぜ私たちは見ようとし、それに魅せられてしまうのか。
本展では、人間の脳が持つ認知機能における「数学的崇高」について、なぜそれがこのように大きな領域を必要とし、複雑に発達してきたのかをめぐる考察の一助として、人間の脳機能をシンプルに可視化した作品と、AIが生成する複雑な無限についての作品を対置します。
人間の脳が生成する共通の神経基盤の象徴としてのかたちと、AIの生成するパターン。
立体印刷技術との競演が織りなす、思考実験の世界をぜひお楽しみください。
中野 信子
本展の開催を記念して、予約制の脳波測定会を行います。ご来場者には脳の状態を可視化するヘッドバンドを装着していただき、特別なシステムを通してリアルタイムで測定したデータを、その場の展示空間に投影いたします。またご希望の方には、測定した⾃⾝の脳波を、ビジュアル化した世界に1点だけのアート作品として別途ご購⼊いただけます。全作品は「StareReap 2.5」にて作成いたします。
■脳波測定体験金額|1人/1000円(税込)
※中野信子は「脳波測定イベント」には参加いたしません。
■脳波測定をビジュアル化したオーダー作品 販売価格
440,000円~550,000円(税込)
■開催日時
9月17日(土)、9月18日(日)、9月24日(土)、9月25日(日)
11:00~19:00 ※30分入れ替え制、各日16枠、1枠3名まで
▶イベントの事前申し込みはこちら
■脳波測定体験金額|1人/1000円(税込)
※中野信子は「脳波測定イベント」には参加いたしません。
■脳波測定をビジュアル化したオーダー作品 販売価格
440,000円~550,000円(税込)
■開催日時
9月17日(土)、9月18日(日)、9月24日(土)、9月25日(日)
11:00~19:00 ※30分入れ替え制、各日16枠、1枠3名まで
▶イベントの事前申し込みはこちら
【シリーズ:Sternstunde】
シュテファン・ツヴァイクは『人類の星の時間/歴史の決定的瞬間(原題:Sternstunde der Menschheit、英題:Decisive Moments in History)』の中で、人類の歴史の転換点における運命的な意思決定の瞬間を、「星の時間」と呼び、一冊の本にまとめました。欧州の伝統的な価値観の中には、星が人間の意思決定に影響を及ぼす、という思想があり、そのことを踏まえた命名です。
私たちは1日に35000回の意思決定をするといいます。私たちの存在もまた、“いま”、“ここにある”、<わたし>が生成する「星の時間」の連続体といえるでしょう。
人体を構成する元素のうち、鉄より大きい相対原子質量を持つものは、巨大な恒星の死——超新星爆発を経なければ生成されません。脳を含む私たちの身体は、星の死骸が再構成され、生命を宿したものです。地球上のほとんどの生物、そして、それらを取り巻く環境に存在する原子は、生成と流転を繰り返し、互いの体を行き来して、システムの中を循環します。
DNAに保存されている遺伝情報は必ずしも表現型と1対1対応ではなく、環境条件に応じてエピジェネティックな変化を受けます。つまり、物質の循環の中で再構築された<わたし>という現象の固有性の保証は、脳の活動パターンに帰着させられます。
このシリーズでは、私と、私の友人の脳の活動パターンを抽出して使用しています。背景のパターンには私自身が撮影した、光と波の海、そしてその中に散じるダイバーたちの呼吸した泡の映像をそのまま使いました。脳波として観測される神経活動の基礎は、海水中にも存在するありふれた電解質のわずかな濃度勾配から生じます。3種類の波動が交錯する様子を1画面に収め、2.5次元のプリント技術(StareReap)で作品化しています。
私たちは1日に35000回の意思決定をするといいます。私たちの存在もまた、“いま”、“ここにある”、<わたし>が生成する「星の時間」の連続体といえるでしょう。
人体を構成する元素のうち、鉄より大きい相対原子質量を持つものは、巨大な恒星の死——超新星爆発を経なければ生成されません。脳を含む私たちの身体は、星の死骸が再構成され、生命を宿したものです。地球上のほとんどの生物、そして、それらを取り巻く環境に存在する原子は、生成と流転を繰り返し、互いの体を行き来して、システムの中を循環します。
DNAに保存されている遺伝情報は必ずしも表現型と1対1対応ではなく、環境条件に応じてエピジェネティックな変化を受けます。つまり、物質の循環の中で再構築された<わたし>という現象の固有性の保証は、脳の活動パターンに帰着させられます。
このシリーズでは、私と、私の友人の脳の活動パターンを抽出して使用しています。背景のパターンには私自身が撮影した、光と波の海、そしてその中に散じるダイバーたちの呼吸した泡の映像をそのまま使いました。脳波として観測される神経活動の基礎は、海水中にも存在するありふれた電解質のわずかな濃度勾配から生じます。3種類の波動が交錯する様子を1画面に収め、2.5次元のプリント技術(StareReap)で作品化しています。
【シリーズ:Mirage】
一見、ホワイトノイズのように見えるかもしれませんが、これはポートレートです。この白と黒との微細な幾何学模様の連なりにはQRコードが埋め込まれており、測定対象者の《Sternstunde(星の時間)》が紐づけられています。
コードをスマートフォンで読みこむと、画面に脳波の映像が映し出されます。モノクロームの二値から成る微細な立体構造に、グランドデザインなしに自律的な現象として拡大を続けてきた近代都市、あるいは、二値的な世界の中に埋もれつつある人類の現在地点を仮託して、二値には還元され切らない人間の内的な活動をヴァーチャルに浮かび上がらせるという方法で、その人物を表現することを試みました。
スマートフォンに映し出される脳活動こそが「リアル」なのだとしたら、私たちが現実だと信じていた何かは、本質的には胡蝶の夢のごとき幻ということになるのかもしれない。
本展のMirageシリーズは、すべて中野信子自身の肖像です。
もし、私と同じパターンを経験した人がいたとしたら、その瞬間、私たちは通じ合うことができた、と言ってもいいでしょうか。
コードをスマートフォンで読みこむと、画面に脳波の映像が映し出されます。モノクロームの二値から成る微細な立体構造に、グランドデザインなしに自律的な現象として拡大を続けてきた近代都市、あるいは、二値的な世界の中に埋もれつつある人類の現在地点を仮託して、二値には還元され切らない人間の内的な活動をヴァーチャルに浮かび上がらせるという方法で、その人物を表現することを試みました。
スマートフォンに映し出される脳活動こそが「リアル」なのだとしたら、私たちが現実だと信じていた何かは、本質的には胡蝶の夢のごとき幻ということになるのかもしれない。
本展のMirageシリーズは、すべて中野信子自身の肖像です。
もし、私と同じパターンを経験した人がいたとしたら、その瞬間、私たちは通じ合うことができた、と言ってもいいでしょうか。
【シリーズ:mandala】
AIに、抽象概念を入力し、結果を蓄積して、キュレーションしたシリーズです。AIはその生成する画像がしばしば賞を受賞するなど、人間の技巧で生成されたもの以上のクオリティを持ち、手仕事が機械に遠く及ばなくなる時代の到来を私たちは目の当たりにしています。
その時代にあって、私たちの特殊性とは何なのかという議論が、静かながらも大きな不安の声とともに、頻繁に聞かれるようになりました。
本シリーズの制作過程では、特に「時間」というキーワードに対して、AIに興味深い応答が見られました。
AIが時計の文字盤を生成するとき、ほぼ16分割、時には32分割になってしまうのです。人間の描いた膨大な数の画像を参照して学習しているにもかかわらず、人間が普段見ている時計として一般的なはずの、12分割の文字盤は出力されてきません。
これは、AIがおかしいのでしょうか? それとも、人間がおかしい?
時間が12進法と60進法の組み合わせであることに、たしかに、必然性はありません。明らかに人間の方が「おかしい」。ただカウントするだけならば、16進で計算するので十分であり、むしろ、それが最も合理的かつ効率的な選択だからです。
なぜわざわざ私たちの脳は、その合理的な選択とは違うトリッキーな方法を、時間認知のために採用したのでしょうか。
この独特の方法は、計算を軽くするために行われる、時間カウントのテクニカルな処理であるとみることができます。有限の認知資源しか持たない私たちの脳は、集団サイズが増し、より複雑な過程の計算を行い、長大な時間を処理する必要性に迫られた結果、このような機構が自然発生的に生じたということなのかもしれません。
また、私たちには睡眠と覚醒のサイクルが必要で、サーカディアンリズムに支配されています。昼と夜の交代が繰り返される環境に適応して、何億年も生命を繋いできたものの子孫であり、時間認知は身体性に大きく影響され、制約を受けています。
一方で、AIにはそんな事情は存在しません。サーカディアンリズムもなく、昼夜の別を認知する必要もない。もちろん睡眠をとる必要もない。
AIの数的処理の1次元性と比較したとき、私たちの数覚の特殊性が浮かび上がってきます。
数覚の限界を超える情報を、私たちの先達は、崇高と呼び表しました。それは、他者との関わりの価値を高め、より有機的に止揚するための認知的な装置であったーー
本シリーズはその可能性についての思索の端緒となる作品群であると位置づけられます。
その時代にあって、私たちの特殊性とは何なのかという議論が、静かながらも大きな不安の声とともに、頻繁に聞かれるようになりました。
本シリーズの制作過程では、特に「時間」というキーワードに対して、AIに興味深い応答が見られました。
AIが時計の文字盤を生成するとき、ほぼ16分割、時には32分割になってしまうのです。人間の描いた膨大な数の画像を参照して学習しているにもかかわらず、人間が普段見ている時計として一般的なはずの、12分割の文字盤は出力されてきません。
これは、AIがおかしいのでしょうか? それとも、人間がおかしい?
時間が12進法と60進法の組み合わせであることに、たしかに、必然性はありません。明らかに人間の方が「おかしい」。ただカウントするだけならば、16進で計算するので十分であり、むしろ、それが最も合理的かつ効率的な選択だからです。
なぜわざわざ私たちの脳は、その合理的な選択とは違うトリッキーな方法を、時間認知のために採用したのでしょうか。
この独特の方法は、計算を軽くするために行われる、時間カウントのテクニカルな処理であるとみることができます。有限の認知資源しか持たない私たちの脳は、集団サイズが増し、より複雑な過程の計算を行い、長大な時間を処理する必要性に迫られた結果、このような機構が自然発生的に生じたということなのかもしれません。
また、私たちには睡眠と覚醒のサイクルが必要で、サーカディアンリズムに支配されています。昼と夜の交代が繰り返される環境に適応して、何億年も生命を繋いできたものの子孫であり、時間認知は身体性に大きく影響され、制約を受けています。
一方で、AIにはそんな事情は存在しません。サーカディアンリズムもなく、昼夜の別を認知する必要もない。もちろん睡眠をとる必要もない。
AIの数的処理の1次元性と比較したとき、私たちの数覚の特殊性が浮かび上がってきます。
数覚の限界を超える情報を、私たちの先達は、崇高と呼び表しました。それは、他者との関わりの価値を高め、より有機的に止揚するための認知的な装置であったーー
本シリーズはその可能性についての思索の端緒となる作品群であると位置づけられます。
【シリーズ:Vivisection】
「死」「再生」という入力に応えてAIが生成してきた画像を作品化したシリーズです。Vivisectionとは生体解剖の意。生きた都市の内容物を断面として見せられているようでもあり、私たちの脳内にある虚構の都市像を、脳を切断して見せているかのようでもあります。画像を色分解してあるのは、さらに機械の目で分解したときに何かが見えてくるかもしれないという可能性を、色で切断するという行為から汲み取っていただけたらという意図からです。
「再生」というキーワードが、動物的な側面を感じさせる事物でなくどちらかといえば無機的な要素を強く感じさせる都市のような何かを現じてみせる方向に出力を誘導しているのは興味深い点で、再生の前段階におそらく「破壊」ないしは「天災」という不可視のキーワードが想定されているであろうことを推測させます。このAIは、人間の描いてきた絵をもとに新しい画像を生成するという特性から、出力された画像には多分に集合的無意識様の認知構造が反映されていると見なすことができます。
私がAIを使って作品制作をする理由の一つがここにあります。私たちにとっての死と再生とは、単なる個体の復活ではなく、私たちが形成するコミュニケーションが都市という形で具象化し、あたかもサンゴ虫が生成する外骨格や貝殻のように、生命の本質そのものの記録として実体化した何かを再生するという試行であるのでしょう。
新しい技術が出てくるたびに、アーティストは脅かされ、自問自答させられてきました。自分の持っている特殊な技が、機械に奪われ、自分のやっていることが意味をなさなくなってしまうのではないか。つまり、新しい技術の登場とは、技だけではアートとして成立し得ないのだということを、うっすらと感じていながら見ないようにしてきたツケをついに払わされる瞬間の到来を意味するものでもあるのです。作品の強度としても一定の水準を満たす創造をAIができるようになった今、アートとはいったいなんなのかを問い直す契機を提供するものとして、本展の後半を構成しました。
私たちは、何を美しいと感じ、何が必要で、どうして時間とお金というコストをかけてまでアートを見に来るのか。この問いには見る人ごとに異なる答えが存在するでしょう。そのことそのものが私たち人類の強みです。世界を自分と異なる方法で見ている人間がいることを知り、そのこと自体を畏れ、敬い、美しいと感じることのできる瞬間は、私たちに与えられた福音であるのです。
「死」「再生」という入力に応えてAIが生成してきた画像を作品化したシリーズです。Vivisectionとは生体解剖の意。生きた都市の内容物を断面として見せられているようでもあり、私たちの脳内にある虚構の都市像を、脳を切断して見せているかのようでもあります。画像を色分解してあるのは、さらに機械の目で分解したときに何かが見えてくるかもしれないという可能性を、色で切断するという行為から汲み取っていただけたらという意図からです。
「再生」というキーワードが、動物的な側面を感じさせる事物でなくどちらかといえば無機的な要素を強く感じさせる都市のような何かを現じてみせる方向に出力を誘導しているのは興味深い点で、再生の前段階におそらく「破壊」ないしは「天災」という不可視のキーワードが想定されているであろうことを推測させます。このAIは、人間の描いてきた絵をもとに新しい画像を生成するという特性から、出力された画像には多分に集合的無意識様の認知構造が反映されていると見なすことができます。
私がAIを使って作品制作をする理由の一つがここにあります。私たちにとっての死と再生とは、単なる個体の復活ではなく、私たちが形成するコミュニケーションが都市という形で具象化し、あたかもサンゴ虫が生成する外骨格や貝殻のように、生命の本質そのものの記録として実体化した何かを再生するという試行であるのでしょう。
新しい技術が出てくるたびに、アーティストは脅かされ、自問自答させられてきました。自分の持っている特殊な技が、機械に奪われ、自分のやっていることが意味をなさなくなってしまうのではないか。つまり、新しい技術の登場とは、技だけではアートとして成立し得ないのだということを、うっすらと感じていながら見ないようにしてきたツケをついに払わされる瞬間の到来を意味するものでもあるのです。作品の強度としても一定の水準を満たす創造をAIができるようになった今、アートとはいったいなんなのかを問い直す契機を提供するものとして、本展の後半を構成しました。
私たちは、何を美しいと感じ、何が必要で、どうして時間とお金というコストをかけてまでアートを見に来るのか。この問いには見る人ごとに異なる答えが存在するでしょう。そのことそのものが私たち人類の強みです。世界を自分と異なる方法で見ている人間がいることを知り、そのこと自体を畏れ、敬い、美しいと感じることのできる瞬間は、私たちに与えられた福音であるのです。
[アーティストプロフィール]
脳科学者、評論家、医学博士。
東京大学工学部応用化学科卒業。同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授。脳科学の専門分野からTVコメンテーターや執筆活動を行っている。東京藝術大学大学院国際藝術創造研究科(博士後期課程)にて科学とアートの関係性を探究し、来春に修了予定。2022年より脳波を使った展覧会のキュレーションも行っている。
中野 信子(なかの・のぶこ)
脳科学者、評論家、医学博士。
東京大学工学部応用化学科卒業。同大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。東日本国際大学教授、京都芸術大学客員教授。脳科学の専門分野からTVコメンテーターや執筆活動を行っている。東京藝術大学大学院国際藝術創造研究科(博士後期課程)にて科学とアートの関係性を探究し、来春に修了予定。2022年より脳波を使った展覧会のキュレーションも行っている。
[販売について]
銀座 蔦屋書店店頭・アートのオンラインマーケットプレイス「OIL by 美術手帖」にて、9月17日(土)より販売いたします。(いずれも先着順)
店頭|9月16日(金)11:00より販売開始
オンラインストア|9月17日(土)12:00より販売開始
※オンライン上での販売は、⼀部作品のみの取り扱いとなります。
※作品はプレセールスの状況により、会期開始前に販売が終了することがあります。
店頭|9月16日(金)11:00より販売開始
オンラインストア|9月17日(土)12:00より販売開始
※オンライン上での販売は、⼀部作品のみの取り扱いとなります。
※作品はプレセールスの状況により、会期開始前に販売が終了することがあります。
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2022年9月17日(土)12:00~販売開始
- 会期 2022年9月16日(金)~9月28日(水)※終了⽇は変更になる場合があります。
- 時間 11:00-19:00
- 会場 FOAM CONTEMPORARY
- ⼊場 無料
- 主催 銀座 蔦屋書店
- 協力 株式会社リコー 、日東電工株式会社
- お問い合わせ 03-3575-7755(営業時間内) / info.ginza@ccc.co.jp